17キロで回収されてよかった・・・
今日も一日お疲れ様です。今日もよく頑張りました、すごいねっ!
先日、ハーフマラソン大会に参加したときの話。
スタート前は「完走できる気しかない!」と大口たたいてみたものの
結果は17キロ地点で回収されちまいました。
まあ、体調も最だったので、
自分を奮い立たせるための自己暗示だったのですが・・・
言い訳としては10キロ過ぎたころから、
ふくらはぎが交互に攣りはじめ、なかなかの大物だったのもあって
その後ずっと攣りっぱなしで
収まった気がして走り出したらまた「ピキーン」の繰り返し。
「行けるところまで行ってやろう」
それだけを考えて前に進んだ結果17キロまで歩いてしまいました。
まさに私の性格が表れているなぁ、
と足を攣らせながら苦笑いをするしかありませんでした。
やっぱり誰かに止めてもらわないと止まれない
この出来事で改めて痛感したのは「私は自分からは止まれない」
自分でやる、と決めたことは結果がでるまでやり続けたい性格、
そして負けず嫌い、自分に負けたくない、と言うことで。
そしてたぶん頑張っている私が好き(ナルシストかっ(笑))
だって頑張っているときが本当の自分の瞬間でもあるから。
でも、ホンマのこと言うと
「どのタイミングでやめればいいのかがわからん」(笑)
10キロ付近から足が攣っているのにそのあと7キロ歩くなんて!
我ながら根性があるなとも思うけど、
そもそも根性ない人はマラソンなんて走りません、
と知り合いに言われてしまい、自他ともに根性ある認定されました。
根性があることは悪いことではないかもしれない、
その上で自分のことを大切にしているかと聞かれると答えに詰まってしまう。
頑張ることは好きだし、負けず嫌いだし、結果がでるまでやり続けたいけど、
もしかするとそれは自分が思う以上の負荷がかかっているのかもしれない。
その証拠に今回のマラソンでは両足が攣ったし、
その後2日間くらいはペッパーくんみたいな歩き方だったし。
「自分からは止まれない」という性格は
何かをやり遂げるときには役に立つかもしれないし、
私自身に無理をさせ過ぎてしまう結果になるのかもしれない。
今のところ頑張る自分が好きなのでどうしようもないんですけど(笑)
そろそろ頑張らない自分も好きになる必要があるなぁ、
自分の人生を自分で決める!なんてことを他人様に伝えているのであれば、
自分で止まることを自分で決めなくちゃね。
止まることは悪ではない
そもそも、止まることを「悪」だと考えているから、止まれないわけで。
その性格のせいで自律神経失調症になったにも関わらず、成長してないな私(笑)
まあ、それはそんな自分が嫌いじゃないから、なんですけども
この「止まることは悪」って言うのがどうしても払拭できない。
人によって理由は様々だと思うのですが、
やはり私は母の影響が大きいように思います。
母は大学進学したくても環境が許さなかったり、
自分がやりたいことを抑えられてきたのもあって
「やれるときは全力でやる」と言うようなタイプです。
なので「できる環境なのに何故やらないのか?」が
ずっと私の目の前にはあったような気がします。
本当は立ち止まってチャレンジするためのパワーを
溜める必要だってあったのに、擦り切れるまでやり続けないと許されない、
そんな環境で私は育っていたような気がします。
今から思えば、かなりしんどい環境だったなぁ・・・
だって私自身の意志で動いていたわけではないし、
母の許可がないと「止まる」ことすらできなかった。
でも「止まってよい」という許可が出た記憶は
私の中ではないに等しい・・・うん、辛かったなぁ。
本当はそこまで厳しくなかったのかもしれない、と、
ふっ と思うときもあるけれど、多分に母の影響は大きかったな~。
それでも色々擦り切れて
自律神経失調症になっちゃったわけですから、止まるしかない。
その時も「人生の夏休み」と
自分に言い聞かせていたような気もしますが・・・
高く跳ぶためには力を溜めることが必要でして、
そのためには止まることも必要なんだな、
と頭ではわかっている(笑)
まあ、「止まることは悪ではない」と思えるようになっただけマシとしようか。
何かをやり続けることがモチベーションアップに繋がる人もいるだろうし、
絶対に止まらなきゃいけないわけでもないと思うけど、まあ、止まってもいいよ、ってことで。
今回17キロで回収されたからこそ、
ちゃんとトレーニングして身体を作ってリベンジじゃい!
と思ったので(ってか練習なしで挑んだのがかなり無謀)
私自身が納得する形で取り組もうと思えたことは一番の収穫かもしれない。
誰に何を言われても、
「私がどうしたいか」が大切
止まっても、止まらなくても、
私が選択したことだから自信を持って進んでいけばいいんだよね
と思う寒い日の夜でした。