阪神淡路大震災
1995年 1月17日 5時46分
突き上げで目が覚めた
あっという間に大きな揺れが来た
鴨居にかけてあった着物がフワっと浮いてから
スローモーションのように落ちていくのが見えた
幸い、私が住んでいた地域は震度5くらいで済んだ
私が通っていた学校は西宮にあったため
2階部分がぺちゃんこになり、後者がV字に折れた
多くの友人たちは避難生活を強いられ
無事だったけど生き埋めになった友人もいた
それでも亡くなった友人がいなかっただけマシだったのかもしれない
アルバイト先も潰れてしまいやることがない
運悪く、当時付き合っていた恋人にもフラれ
学校もアルバイトもなく、ただ気持ちが落ち込んでいた
電車に10分ほど揺られれば
震災の影響がなかったかのように賑やかな大阪の街
その違いに愕然としたことも覚えている
あれから27年
今、私が相手をしている学生たちはこの後に生まれた人たち
彼らが話す「大震災」は東日本大震災のことがほとんど
もちろんその記憶も忘れてはいけない
阪神大震災も東日本も
どんな被害があったか、防災を知っておくことも大切
ということを伝えていくこともとても大事
その上で
人と人との繋がりや優しさ
時間がかかったとしてもちゃんと復興できるヒトのチカラ
そう言うものを伝えていってほしいし、伝えていきたいと思う
27年経ったからこそ感じていることでもあり
2年前から新しい生活様式を強いられる環境になってしまったことも
より強く、そう思うキッカケなのかもしれない
今、生きていられること
たくさんの素敵な仲間に囲まれていること
好きなことができていること
そして、生かされていることに改めて今日は感謝したいと思う