母親とうまくいかない
カウンセリングや心理学を学んでいると多くの人が
「母親との関係」で悩んでいるようです。
私自身、母親とうまくいっていない、
と思ったことはなかったのですが、
かと言ってめっちゃうまくいっているわけでもない。
見る人によっては「冷めた母娘」と思われるようです。
高圧的な人が苦手になった理由
自律神経失調症になった原因の中に、
「高圧的な人が苦手だ」とよく話していますが、
そもそも何で高圧的な人が苦手になったんだろう?と思い、
人生を振り返ってみたところ・・・
私の人生うっす(笑)と言うのは冗談だけど、
なんだか思い当たることがありました。
高圧的やマウントと取る人が苦手な理由は、
自分の意見を押し付けてきたり、
人(私)の話を聞いてくれないから。
これはどうやら幼い頃の記憶と繋がっていて、
母に怒られる→説明しようとする→言い訳するな!口答えするな!と頬をつねられる
となり、私の言うことは聞いてもらえない、と泣いている自分を思い出した。
だから自分の意見を押し付けたり、
人(私)の話を聞いてくれない人は苦手になった。
そして母が望む娘でいれば私の話を聞いてもらえる
と考えるようになるにはそんなに時間はかからなかった。
本来の私はかなり適当でマイペース。
小学生の頃、お手伝いで食器を片付けていた時に
不注意でお皿を割ってしまい、手首を切るけがをした。
その時は怒られた印象が強く、心配してもらった記憶があまりない。
中学校でいじめにあったときも
「いじめられる方に原因がある」と言われ、
母親は味方ではないと認識した。
そこから母親に相談することは減ったし
辛いことを笑顔で話すようになった。
それは本当の私は母親には認めてもらえないと悟ったから。
適当でマイペースであることを許してもらえず、
身体が大きい分鈍く見えるからサッサと動けと言われ続けた。
頑張っても頑張っても「やればできる子だから」と
誉めてもらった記憶もほとんどない。
私が母に相談するのは母の意に添っているかを確認するため、
正しいものを探すための作業。
自分のことは自分で考えて何とかするしかないと思って育ってきた。
また母が信頼していた占い師に
「この子(私)は普通の子、期待はしない方がよい」と言われたらしく、
母から「期待はしていない」と言われ続けた私。
うん、自己肯定感低い子が育つよね、そりゃ。
まあ、よく今まで腐らずに生きてきたと思うよ、私、偉いよ(笑)
私には「残念な子」のニュアンスで聞こえていたのに
求められるレベルは高すぎて頑張っても当たり前だし、
期待はされていないしで母からの愛情を感じられていなかったのだと思う。
結婚するとき、旦那家族との顔合わせで
「大切に育ててきました」と言われて、
一番驚いたのは私だったに違いない。
だって「大切に育てられた」なんて感じたことがなかったんだもん。
早く母より大きくなりたかった
そんなこんなを思い出していると
以前大学に進学したのも、海外挙式をしたのも、
独立して仕事をしているのも「母が望んだ人生」を
私が肩代わりしていると思っていることに違和感を覚えた。
よくよく考えてみると、ただただ「母に勝ちたかった」だけだった。
早く母より大きくなりたかったのは
小学生の私が唯一母に勝てるものが身長だったから。
そして大学に進学したのも、海外挙式をしたのも
独立して仕事をしているのも、
先生と呼ばれる仕事についているのも
すべて母ができなかったことをやってやった!という
快感を得たいがためなのかもしれない
(いや、そんなことはない、はず)
今でもさも相談しているかのように見せているが
実は、「私の方がスゴイんだから」を母に伝える作業なのかもしれない。
私は小さい頃から、祖母に母の優秀さを嫌と言うほど聞かされて、
そんな祖母のできる基準や比較対象は祖母の記憶の中の母で
どんなに頑張ってもそれを越えることができなかった。
あるワークショップで実の母のことを話すとき、
私は母を「彼女」と呼んでいた。
参加者に「なんで彼女って呼んでるの?」と聞かれて
その時はピンとこなかったが、今となれば母はライバルだったから
「彼女」という一人称で呼ぶことで、1人の人間として
認識していたのだろうと思う。
母との関係はどちらかと言えば
うまくいっていない寄りだと思うけど、
別に母を嫌いなわけではないし、
母も祖母からそうやって育てられたんだろう、
と想像に難くないので仕方がないと諦めてもいる。
勝ち負けじゃないけど、母には勝ったと思ってるし、
でも、そんなことを考えている時点で自分の人生を
母親に費やしているという矛盾にも気がついた。
母娘とは言え違う人間なんだもの、
うまくいかないこともあるかもしれない。
良くも悪くも母親というものは
子どもの人生に影響を与えるものなんだなぁ、と思いつつ
私は私の人生を歩みたい
そう思い始めた。
だからかな、海外移住を考え始めた。
母とのほどよい距離感を保つこと、自分の人生を切り分けること
今の私にはできそうで、できないテーマだな・・・
と思いながら過ごす、秋の夜長なのでありました。