泣きたいときだってあるって
泣くなと言われて育てられた
この前、旦那と一緒に実家に帰省していた時、
父親が旦那に向かってこう言ったのです。
「コイツ(私のこと)を泣くなと言って育ててきたから、こんな気の強い・・・。
よしよし(頭をなでる仕草とともに)しながら育てたらよかったのかも、ごめんね」と。
何をいまさら・・・と思ったのは内緒で(笑)
父親にしてみれば、私の旦那に対する物言いがキツイと思ったのか
フォローのつもりで言った言葉なのだと思うのですが、
そこで初めて私も言い返してしまいました。
「そうだよ、お父さんが泣くなって育てたから、
こんな可愛くない子に育ったんだよ」と。
少し肩の荷が下りたような、
父親の思い描く娘じゃなくていいんだ、と感じた瞬間でもありました。
本当は喜怒哀楽のハッキリした私
ふと、私の幼少期の頃に一緒に住んでいた叔母に
当時のことを聞いてみました。
叔母の印象は「マイペースののんびり屋」だったそうで。
テレビを見ながら幼稚園の制服に座ったまま着替える子どもだったとか。
(その節はご迷惑をおかけしました)
確かに、自分で言うのも何ですが、
よく笑いよく泣いて毎日楽しく過ごしていたように思います。
しかし、小学生くらいになるとクラスで1,2を争う泣き虫になったので
泣き虫グラフを作られて「泣くのは悪」と植え付けられた記憶があります。
(今そんなことしたら親が文句言ってくると思うけど)
その上、両親にも「すぐに泣くな」と言われ育ってきました。
父は「泣くと話が進まない」と言って、私が泣くことを
許しませんでした。
本来、「泣く」と言うことは一旦気持ちを落ち着かせる意味では
必要な作業だと私は思うのですが、気持ちを落ち着かせることも
できず、言いたいことも聴いてもらえない状況が多々ありました。
そして子どもですから、親が納得するような説明ができるわけもなく・・・
(親が話を聴こうと思ってくれていたら別ですが)
段々と自分の気持ちを伝えることが面倒、
と言うか私の気持ちは話しても聴いてもらえないんだろう、
わかってもらえないんだろうという気持ちが芽生え、
泣きたい気持ちを我慢そして自分の気持ちを言わないようになりました。
母は
「たとえ相手が悪くとも、相手が泣いてしまえばこちらが悪者になる。
そんな思いをたくさんしてきたから、泣くのはズルい」と言われ続けました。
おかげで私が悪くなくても相手が少し泣きそうな感じになれば
私が悪いと言われるような状況に置かれてきました。
母は自分がされて嫌だったことを私にも経験させていたことに、
いまだに気付いてはいないと思います。
そして喜怒哀楽がハッキリしているわけですから、
ムッとすると顔に出る、
本当に思っていることが誰にでもわかるような
子どもでもありました。
親に注意されてムッとしていたら「顔に出てる!」
と余計に怒られる始末。
「感情を顔に出すな」と怒られていました。
まあ、これは大人になった今でも気を抜くと顔に感情が出ているようですが・・・(笑)
いいんだよ、私は自分に正直に生きていたいだけなんだ!
とか言えるとカッコイイんですけど、そんな信念もなく。
母親曰く、感情が顔に出ると扱いやすいというか騙しやすいと言うか
利用されたりと私が損をする、みたいなことを言われたような記憶もあり、
とは言え、小学生の私が悔しい思いがあって泣こうものなら、「泣くな」と怒られる。
小学生に「泣くな」はまあまあキツイですよ。自分の気持ちを言葉にできないから
泣く、という行動に移すときもあるわけですから。
もはやこの時点で自分の気持ちの表現の仕方がわからなくなりつつもあり・・・
色んな出来事が重なって、いつしか怒哀を表現することを
我慢するようになっていた私。
不思議なことに私だけかもしれませんが、怒哀を表現しなくなると
比例して喜楽も表現しにくくなってきました。
結果、感情を抑えることを覚え、辛いことを笑顔で語り、
怒りの気持ちを伝えることのできない人間に育ちました。
ただ辛いや怒りの感情をその場で我慢して
どこかで発散できるのであれば何も問題がなかったのでしょうが、
私は自分が辛くても「もっと他にも辛い人がいる」
(これも親に「自分だけだと思うな」と言われ続けていた)と思い、
怒りの感情は顔に出るので、怒りの感情を持つこと自体を悪いことだと感じてしまい、
腹が立つ、と言う感情をどう表現していいのかわからないまま大人になりました。
まあ、親に怒られる、というよりコンコンと理屈を言われると言うか諭されると言いますか・・・
それはそれで大声で怒鳴られるより怖かったんですけどね。
反抗期を経験せずに大人になった。
実は、私には反抗期らしい反抗期がなかったように記憶しています。
幼少期の駄々っ子、と他えばお店の床に寝転んで地団駄踏んであれ買ってー
というようなこともしなかった(させてもらえなかった?)らしいです。
そして女子高生くらいになると訪れる
「お父さん嫌い!」とか「洗濯物は一緒に洗わないで」とか
「お父さん汚い」とかが一切なかったのです。
これは母の「大黒柱は父。感謝しなさい」という教えの成果。
そして母は私の反抗期がなかったことを自慢としていたように
感じるけど。
自律神経失調症を経験して、何度か同じようなこと
(特に年上男性で高圧的だったり仕事ができない人に対して超ストレスが溜まる)を
繰り返していくうちに、反抗期を経験しなかったのは果たして健全だったのか?
と思うようになっちゃった。
というのは、反抗期と言えば聞こえは悪いかもしれないけど、
親や大人の言うことに反抗して自己主張をしたり、自我がしっかりと根付く期間、
いわゆる「大人の階段上る~」時期なのではなかったのか?と。
残念ながら、私にはその期間がなかった・・・と言うことは、
自己主張をしたり、自分の自我と向き合う機会がなかったのではないか?
そこまで大げさでなくとも、自分の気持ちをどんな形であれ大人に伝える機会を
逃してしまったような気がする。
その結果が自律神経失調症に繋がるプログラムを作り上げたのではないか?
と思いはじめるようになりました。
怒りの感情を表現することも苦手で、泣きたい気持ちも我慢して、
自分の気持ちを伝える技術を身に付ける機会も逃してしまって。
もともとの性格も相乗効果でひとりで悶々と抱え込むような大人になりました。
自分で何事にもチャレンジして解決したり目標を達成したりする強さを得たことは
今の仕事に就いたり、フラダンスでテッペンを目指すには必要な能力だったなぁ。
だからこんな風に育ててくれたことに感謝しないこともない。
2歳の甥っ子を見ていると、
「魔の2歳児」でイヤイヤ期だったりするようですが、
自我が芽生え主張したいけど言葉が通じない!というジレンマとの戦いなんだな、
と感じ、とにかくカワイイなぁと。
いまさら、反抗期を体験しなくてもいいんだけど、
どんな形でもいいから自分の気持ちを伝える機会や術があればいいのにな、
と甥っ子を見て思うのと、切実にそんな機会を所望します、私(笑)
反抗期があるのがいいのか、ないのが悪いのかを決めたいわけではなく、
自分の気持ちを伝える経験ができたかどうかが大切なんじゃないかな、と。
大人にも反抗期ってあったらいいのになーと本気で思う今日この頃でした。