誰の人生を歩んできたのだろう・・・
自分の能力のなさを痛感、そして・・・
夏に広島でお仕事関連のワークショップを受けてきました。
自分と向き合うことがメインのワークショップで、
これから自分のやりたいことや方向性を決めて、一歩踏み出せたら!
と大きな期待を持って参加したのですが・・・
正直なところ、かなり凹んで帰ってきました。
まず、周りの参加者の方々が普段私がお会いできないような方々で、
経営者や部下を大勢持った人、社長の期待を背負った人たちで、
ただただ対人支援の仕事をしていて、単なる個人事業主の私には
とても場違いなように感じてしまいました(ちょっとだけその凄さに浮かれていたりもしたのですが)
そんな人たちの中で濃い時間を過ごしたことで、
今の私は本当に何もなしえていなくて、
このまま貢献し続ける意味があるのだろうか?
今の仕事を辞めてしまおうか?
私の存在価値は一体なんなのか?
と一晩中泣きながら考え、本当に自分の能力の無さを感じる時間になってしまいました。
正直な話、ここまで追い込まれた意図がいまだにわからないので、
大きな傷を負ったまま過ごしている状態でして。
今も、一皮むけばゾンビみたいになっています(笑)
親の望む娘であること
その時間を過ごす中で気づいたことのひとつは、
今までの私は両親の望む娘でいようと努力してきたこと。
特に母親の望んだ人生を生きてきたこと。
「泣きたいときだったあるって」でも少し触れましたが、
親の言うことから外れることのない子どもだったように思います。
私は大学を卒業していますが、
大学に行くことは家庭の事情で大学に行けなかった母の夢でした。
そして大学に行くからには教員免許を取ること、
これが私が大学へ行くための条件で
(あとは家から通えるとか、短大に行くなら就職しろ、とか)
母が大学に行ってしたかったこと。
ちなみにそんな母は70歳を機に高齢者大学に通いだし、
勉強やクラブ活動に精を出しています。
短大や専門学校に行くことも視野に入れていたのですが、
「向いていないから辞めておけ」や「短大に行くなら働きなさい」などと
目的もなしに進学するのは許してもらえず。
そして私は大学ではラクロス部に所属するのですが、
何故ラクロスに興味を持ったのか?を考えると
母に「こんなスポーツがあるよ」と刷り込まれていた記憶が・・・。
実はハワイで挙式をしたのですが、
母が「海外挙式をしたかったけど、おばあちゃんに反対されたから
できなかったんだよね~」と嬉しそうに言われたり。
(このあたりから違和感を覚え始めた)
今、私はありがたいことに大学で非常勤講師をさせていただいていますが、
母は先生と呼ばれる職業に就きたかったと聞いたことがあります。
また自営業と言うか商売をすることも母の希望だったように思います
(実際に父も独立させ独り親方として起業させていました)
母からずっと「大学に行きたかった・・・」と
嫌と言うほど聞かされながら育ってきたので、
「母の思う人生を歩んできたのだ」と今になって気付きました。
私自身が納得して選択してきとは思いますが
選択肢を決めていたのは母だったのかもしれません。
そして自分で決めたと思っていましたが、
最終的な部分の決断は母の確認をとっていたように思います。
母に嫌われたくない一心で母の望むように生きていたのかな・・・。
何年か前からうっすらと
「母のやりたかったことを私が実現しているんだな」
と感じてはいたのですが、
ここまでハッキリと母の人生を生きていたのだ、
と感じたことはありませんでした。
私だっていい大人なんだから自分の責任で何でもできるのに、
母が納得するような選択や結論を準備していたように思います。
私はフラダンスでコンペティションクラスに所属していて、
名古屋までレッスンに通ったり、海外での大会に出場したりしています。
そのことに関しても母は
「もういいのではないか。次は自分の仕事に専念したらいいのではないか」
と口出しをしてきました。
一旦は「そうだね」とわかったふりをしましたが、
やっぱり私は辞めたくない、と思ったのでコンペティションクラスを続けています。
もしかしたら「やっぱりあの時に辞めておけば良かった」
なんて思うこともあるかもしれないけど、
心のどこかで、母の言う通りにするのが嫌だ、と思う私もいました。
辞める方が後悔すると思ったし。
私が考えること、思うこととは違う選択肢を選んできたのですから、
歪みが生じて、なんか生きづらいと思うのは仕方のないこと。
その歪みや違和感に気付かないふりをして今まで生きてきた。
苦しいとどこかでは感じていたのに・・・
そして、母は私を「ひとりの人間として育てた」
と口ぐせのように言っていました。
一人っ子なので
「もし両親に一度に何かあった時にひとりで生きていけるように」
とも言われ続けました。
子どもの頃は自分は他の人たちと母娘の距離感が違うなぁ・・・
と感じ、淋しかったです。
でも淋しいと言ってはいけない、私の本当の気持ちを言ってはいけない、
と我慢し続けていたのかもしれません。
気付いてしまった・・・これから
親の理想とする娘であること、
母親の人生を代わりに歩んできたことに気付いた今の気持ちは、
まだ怒りの気持ちが大きい感じ。
最終的には自分で決めたにしろ、
その選択をするように仕向けられていたのではないか?
ひとりの人間として育てたと言っていたが、
母親が扱いやすいように育ててきただけではないのか?
と沸々と怒りが湧いています。
ただでさえ身体が大きいので素早く動かないと鈍臭く見える、
と言われ続け、
靴が大きくて邪魔だと言われ続け
(仕方ないじゃん成長しちゃったんだから)
よくよく考えたら、母から褒められたことなんてあったのかな?
テストで90点を取っても
「やればできるんだから、当たり前」
と言われたような記憶しかない。
ああ、私は母親に褒められたくて、
認められたくて頑張ったきてたんだな、
と痛感したときは、本当に私には何もないんだな、と。
だから冒頭に書いたように「私」としては何も成しえていないし、何者にもなっていない。
だって「私」として生きてきたわけではないから。
ただ、母親の望む人生を一生懸命生きてきた。
気づいたものの今さら母親にその怒りをぶつけることもできず・・・
(母は母なりに一生懸命育ててくれたと思うので)、
私の中でどうやって折り合いをつけていこうか?と思案しております。
とか言いながら、耳にピアスがいくつも開いているのは、
ちょっとした反抗なのかも(笑)
と、色んな感情がグルグルと渦巻いておりますが、
人間を育てるというのは大変なことだと思います。
誰だって初めての経験だろうし、
正しいか正しくないかなんて誰も判断できないだろうし。
今まで親の望む娘を演じてはきたけれど、
私の人生を歩んで行こうと思う強さは
一生懸命育ててくれた両親から授かったチカラなんだと思う。
まあ、そのお陰で今の仕事にも就けたことや
旦那さんにもめぐり逢ったし、幸せだと思えるから
感謝する部分もあることは確か。
そして、これからの私は母親の人生ではなく、
本来の私の人生に戻る方法を模索している途中。
小さくてもまずは一歩から。
いままで頑張ってこれた強さを育ててくれた両親に感謝しながら
本当に自分が好きなことややりたいことを選んでいける
そんな時間を刻んでいきたいと考えている今日この頃でした。