頑張るのに疲れた・・・
ドクターストップになるまで走り続けた
私は35歳のとき自律神経失調症になって会社を退職をしました。
何度かお話していますが、最大の原因はダメ上司との人間関係が上手く行かず、
ストレスを溜めすぎて心身ともに疲れ果てたから。
自律神経失調症で会社を休職する前には
両親にすら「顔つきが違う」とまで言われ心配されました。
確かにあの時の写真を見ると、
浮腫んでいると言うのか、目の焦点が合っていないのか
とうてい健康な人の顔つきとは程遠いように感じます。
あの頃の出来事や状態は今までも何度か書いていますが、
確かに自分のようで自分でなかったような感覚もあるし、
正直はっきりと何があったのか記憶の時系列が曖昧な部分も多々あります。
それはきっとあの頃の私は、
嫌なことがあったとしても寝たら忘れる
とか
ネガティブなことをポジティブに変換する
とか
美味しいものお腹いっぱい食べる
とか
日々誰もがやっているような小さな嫌なことを忘れる行動すら
取ることがままならなくなっていた。
それこそダメ上司のことしか考えてなかった
この世で一番嫌いな人のはずなのに(笑)
普段なら、嫌いな人やモノのことを一日中考えるなんてこと
するはずはないのですが、
通常運転ではない状態なわけですから
嫌いな人のことをずっと考えていてもおかしいと思えなかったんでしょうね。
自分で自分を追い込んだ
興味を持ったらとことん興味を持ち続ける
責任感が強く任されたことは最後まで完遂する
自分のやり方など拘りがある
などもともとの性格はあれど、
この時期は極端にひとつの性格が突出していた気がする。
もちろん渦中にいた時はそんなこと気づかないけど、
気分転換をしようと美味しいものを食べても
寝ても覚めてもその上司のことばかり。
こんな嬉しくない恋煩いなんてないわ!!と思うほど
考えないようにしようと思えば思うほどそのことしか
考えられなくなっていたように思います。
その頃、突出して活躍していた性格は
『解決したい』
(=ダメ上司がいかに仕事ができないかを周りに知ってほしかった)
そして『私の想いに共感してほしい』
(=頑張っているのに労ってもらえないのが辛かった)
頭では自分が変わればいいと言うこともわかっていたけど、
そもそも、健全な状態でも自分を変えることは勇気がいることなのに、
四面楚歌の状態で誰も自分の味方じゃない状況で、
自分を変えるということは怖かった。
そして、自分が変わったとしても得するのはダメ上司じゃないか
嫌いな相手に得させるなんて・・・(敵に塩を送れなかった、私)
完璧主義だったからこそ、できない自分を自分で追い込んでしまった。
自分が変わることにメリットを感じられなかった。
とにかく自分自身が納得したり、
自分の気持ちが伴わないと何事もしんどいと感じちゃうよね
当たり前のことだけど。
誰に相談しても、
「どこにでも、そんな人はいるよ」や「自分が変わればいい」
と言われるだけで、私の気持ちを理解してくれる人はいなかった。
いや正確には理解してくれる人はいたけど、
違う部署に異動してしまった・・・その瞬間に私は壊れた。
理解してくれる人がいるだけでホンマに心強かったと思います。
得に人に甘えることが苦手な私は
自分の本当の気持ちを伝えることも下手だった。
だから理解してくれる人が異動したときから
自分の気持ちの持っていきようがわからなくなってしまった。
私は思っているほど強くなかったんだなぁ
自律神経失調症になってみて感じたのは
私は私が思っているほど強くはなかったんだなぁ・・・
と言うこと
ダメ上司との関係も、最低限のことしか話さないし
社会人の基本の報・連・相もほとんどせず
だって話しても理解してもらえないから
色んなことを学んできた今は
知っている知識の量や基本的な立ち位置など
ダメ上司が知らないことが多すぎて
私の伝えたいことが何を指しているのかわからなかったんだろうな、と
そして、そんなに嫌いなダメ上司に
何を期待していたのだろう?とも思います
人間、生きていればどこかしら他人に期待することは
ままあることだと思うんです。
そしてその期待通りにいかないと
ガッカリすることだってあるかもしれません。
でも、きっと
誰よりも自分自身に大きな期待をかけすぎていたのかもしれない
私ならできる、と
やればできると思いますし
やらずに諦めるのは嫌だし
だけど、嫌なことにまでチャレンジする必要があったのか?
そう考えると、嫌なことにチャレンジして乗り越えるほど
私は強くなかったなーと思っている次第でございます。
でもね、強くなくったっていいと思うんです
完璧な人間なんていないんですから
ちょっと強い部分があったり
優しい部分があったり、たまには弱い部分もあったり
そんな生き方もいいのかもしれないな、なんてね。