今年もお疲れさまでした
今日も一日お疲れ様です、今日もよく頑張りました!
そして、今年も1年、お疲れさまでした☆
うまくいかなかったこともあったかもしれません
うまくいったこともあったかもしれません
それでも、「疲れた~」と笑えていればいいな
頑張った自分は好きですか?
今年もめ~いっぱい頑張ったご自分をほめましょう~
私は今年、しかも最近、セルフハグなるものを試みるように。
読んで字のごとく、自分で自分をハグするチャレンジ。
でもなんだかしっくりこないことが多くて
どの形が一番落ち着くのか?
を探求するため、ああでもない、こうでもない、
とずっと自分を抱きしめる日々。
(それはそれで傍から見ると気持ち悪いよ)
いい加減しっくりくる形を見つけたいなぁと思うと同時に
自分の身体の固さと肉付きのよさに愕然とする(笑)
しっくりくる形が見つかるのが先か、
私の身体の柔軟性がアップするのが先か、
それとも痩せるのが先か・・・
その頃にはなんか違うことにハマってそうな気もするけれど・・・(笑)
今年は「ああ、私は頑張っていたんだ」と認識することから
スタートしております(もう晦日だけどね)
無理に自分を変える必要はない、はず
自律神経失調症に罹患してから、
メンタルよわよわな自分とうまく付き合うために、
心理学とかいろいろ学び続けてきました。
その中で必ずと言っていいほど「頑張り屋さん」と言われる。
まあ、自分でもそうじゃないかと自覚してきた頃でもあったので、
「頑張り屋さん」と言われることにはさほど違和感もなく。
頑張ることが通常運転な私だから、
学び始めた最初の頃は「頑張り屋さんで何が悪いの?」と。
「今まで頑張ってきたのだから、頑張らなくていいんだよ」
って言われるたびに、なんでかわからないけど、
自分を否定されている気持ちになってた。
だって、頑張ることが通常運転の私に頑張るなって難しいよ?
特急電車に「はい、ここから各駅停車になってねー」
っていきなり言うのと同じようなものだもの。
「え?私、特急電車じゃなかったっけ?」と混乱しちゃったのが本音。
ましてや因果関係含めて理論的に話をしてほしいから、
「何で頑張らなくていいのか?」を知りたいのに誰も教えてくれない(笑)
こうして不可解なまま「頑張らなくていいよ」と言われ続けることに。
でも、言われ続けていると人は慣れるもので、
「ああ、頑張らないって選択肢もあるんだ」ということをやっと知る、
納得はしてないけど(笑)
そうこうするうちに「頑張らないことを頑張る」と言う謎の矛盾ループがスタート。
もはや何を頑張っていて何を頑張らなくていいのかも迷子(笑)
だから頑張っちゃうと「頑張らなくてもいいのに・・・」と自己嫌悪。
結局これも頑張っちゃう自分はダメなのかなぁ・・・とか
うまく休めない自分はダメなのかなぁ・・・とか考えちゃって。
頑張ることを選択しても、
頑張らないことを頑張っても傷ついちゃう時でした。
で、迷子になったから
「もうええわ、好きに生きてやる!頑張り屋で何が悪いねん!」
↑ 今ココ
ハーフマラソンに挑戦する中で、
「あー、頑張ってる自分が好きなんだな、私」と痛感。
じゃあ、もう、自分のこと好きなら、それでええやんって。
「頑張り屋さん」の私が悪いのではなくて、
それを私自身が認めていなかったことに端を発しているわけで。
セルフハグして「今日も私よく頑張ったー、えらいー」って
言えたらそれでOK(それはそれで緩すぎないか?)
私を無理に変える必要はないよね、
と思う2021年の師走なのでした。
「私」が楽しくて幸せなら、それでよくない!?
私が楽しくて幸せならOK!
なんて言うと「ワガママだ」とか「自分勝手だ」と
言う人もいるかもしれませんが、
誰も私の人生に責任なんて取ってくれないんですよ。
自律神経失調症になったときにイヤってほど痛感。
私に病名を付けた医者ですら逆に追い詰めてきたんだもの。
頑張ることが良い、とか、頑張らないことがよい、とかではなく、
「私は頑張り屋さんだ」と知っていることが大切。
で蛇口のように出す量が調整できればいいんだろうし、
疲れたら蛇口ひねって止めればいいことなのかもしれない。
だからあえて声に出して言いたい。
「頑張る私が大好きです」 と
「頑張り屋さん」も構成する一部だから大事にしたい。
途中で迷子になって斬り捨てようとしたけど(笑)
でもやっぱり私には必要なパーツだと思うから、だから大事にしたいなぁ。
そうやってひとつずつ、自分の好きなところが増えていけばいいなぁ、
と思いながら、セルフハグの絶妙な位置を探し続ける2022年を目指しマス
2021年があなたにとって楽しいと思える1年になっていますように・・・